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沿革
 
■「公益信託函館色彩まちづくり基金」の発足・発展
■基金の運営についての議論の経過
■基金の運営の転換 − 第二期目の10年を積極運営へ
■2008年12月1日より、新運営委員にバトンタッチ
「公益信託函館色彩まちづくり基金」の発足・発展
  1993年に公益信託函館色彩まちづくり基金が発足してから10年以上が経過した。この問に基金を取り巻く状況は大きく変化している。金利の低下やペイオフ制度などにより、信託制度そのものがその存在意味を問われる状況も生じている。

公益信託とは、基金を銀行へ預け、一定の運用収益を確保し、その益金を目的にそった活動への助成支援に当てる仕組みだ。函館色彩町づくり基金も2000万円の基金設定の当初計画では、運用収益を年6〜7%と想定し、年間100万円程度の助成計画をたてていた。しかし1993年の基金設定時にはすでに低金利時代が到来し、その後さらに超低金利の時代となり、現時点ではほとんど0.25%前後の金利で、実際基金は寝かせているだけの状態となっている。一方、信託管理の費用や官報への公告費、また運営費などの出費を計算すると、維持費だけでもかなりの金額が毎年必要になっていく。この問、少額(50〜70万円)とはいえ、毎年市民のまちづくり活動へ助成を続けてこられたのは、函館市民や全国からの募金がたよりであったというのが現実だ。

基金が助成してきた活動は総計で41件、総額920万円になる。そのなかには、

◎毎年元町界隈の夏の恒例行事にもなった若者達のペンキ塗りボランティア隊
◎奥尻地震で被害を受けた海産商同業組合会館の復旧
◎十字街の大火後の復興プランづくり
◎元町の住宅地での住民と地域の住環境を考えるワークショップの開催
◎松陰や湯川商店街の自主的なまちづくり活動
◎町家活用の路上アートミュージアムの試み


などが展開されている。ささやかな活動支援とはいえここ10年来の函館の話題となったまちづくりの主なものは含まれていて、その波及効果は小さなものではない。また基金をもり立ててるネットワークも、函館市内から全国にひろがっている。

ペンキ塗りの様子 「じろじろ大学」の様子

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基金の運営についての議論の経過
 基金の取り崩しによる積極的な助成活動をおこなうべきか、細々とでも出来るだけ長くその活動を続けるべきかは、運営委員会の重要な問題として設立当初より何度か議論されてきた。

  あまり知られていないことだが、函館色彩まちづくり基金の設立時の計画では、

●立ち上がりの数年問は、基金を取り崩して毎年200〜300万円程度の助成を行い、目に見える成果をあげて寄付も集め、函館色彩まちづくり基金の社会的意義と助成活動を強くアピールし、印象づける。

●5年目からは助成額を毎年100万円程度で、安定した活動を持続していく

という計画であった。

  しかしこの計画は主務官庁の道庁から認可がおりず、結局当初から基金は取り崩さずに、収益や寄付により助成活動め運営を行いながら、運営委員会において、その運営方式を随時考えていくということになった。

運営委員会での議論を振り返ってみると、基金がスタートし、ある程度軌道に乗ってきた95年頃の運営委員会においては、「基金のアピールのためにも積極的に助成を拡大すべきだ」、「民問基金ならではのフットワークの軽さで柔軟に対応したい」、「活動あっての基金だから、今は十分に活動助成できるようにしたほうがいい」など、助成とその成果の手応えに、積極運営の声もあがった。しかし「先の見通しもないのに、目先の活動にとらわれるのはどうか。きちんと予算を立てて寄付集めすべきだ」の声も強く、運営委員会としての一致した結論には至らなかった。

  その後97〜98年の議論では、積極運営への理解も深まっていったが、逆に取り崩ずしせずに頑張ってきた経緯も評価して、「今は我慢の時。助成額も最小限におさえ、寄付やチャリティの開催などで資金を確保し、しばらくは取り崩しなしの現状のままでやっていこう」という方向に議論が収束していった。

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基金の運営の転換 − 第二期目の10年
 21世紀を迎え、基金の運営も10年を経過する頃になり、運営方式の見直しを求める声が起こってきた。それは基金自体のみならず、もうひとつ函館のまちに対する危機感も背景になって生じてきた。函館の歴史的環境を活かしたまちづくりは、いま大きな転機にさしかかっている。1970,80年代の元町界隈の歴史的建造物の創意工夫に富んだ再利用からはじまった函館再生のまちづくリも、90年代以降は長い停滞の時代にある。地区の歴史的建物はこの10数年問の問に約1/3の建物が解体され、さらに重要な景観資源が危ぶまれる状況になりつつある。また地区の人口も最盛期からみれば1/4にまで減少し、高齢化率も 30%近くになっている。今対策を講じなければ、函館の歴史的町並みの根本がくずれていく、そういう状況にいま立ち至っているのである。

  一方基金の役割として、不景気や厳しい社会状況の中でこそ、地域で元気を出せるようなまちづくりや活動に、積極的に取り組むべきではないかという意見が出された。いま函館にはまちづくりやコミュニティの住民活動にできるだけ規模の大きい支援が求められる時期にきているのではないか。それはいままで手をつけていない基金の信託財産そのものをある程度取り崩しても、積極的な助成活動を支援していこうということである。助成金額が増加することになれば、これまでの活動助成に加え、新たな分野の活動にも支援が可能になる。地球的問題である環境問題に関する活動等も必然的な課題になってくると考えられるし、人間性を取り戻すような創造的なイヴェントも大切である。また単年度だけの活動でなく、継続的な事業への助成なども考えられる。

  函館色彩まちづくり基金の運営は第一期の10年間は、「収益活用十募金方式」で行い、着実な墓盤をつくりあげてきた。その成果を踏まえながらも、社会の諸条件の変化に対応して抜本的に運営方式を見直し、これからの10年問は「取り崩し十募金方式」の積極運営に転換し、よりダイナミックな活動支援を目指していくということになったのである。

  三井住友信託銀行の申請に基づき、北海道庁建設部まちづくり推進課の審査により、2002年8月21日基金の取り崩しに伴う信託条項の一部変更について、その内容が認可された。変更した内容は、信託財産を毎年度200万円まで取り崩し可能とし、まちづくりや地区の活動等に規模の大きい、積極的な助成活動の支援を実現するということである。

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2008年12月1日より、新運営委員にバトンタッチ
 運営委員会の組織も15年目を機会に見直し、運営委員も新メンバーで新たな出発をすることになった。その選考はそれまでの運営委員に、これまでの活動を踏まえさらに充実した活動を推進できる新たな委員を推薦していただき、事務局が取りまとめることとなり、2008年から新運営委員会による体制が始動することとなった。

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