1.本を読む習慣を身につけてもらうために
青少年、とくに子どもたちの本離れが社会的な問題にまでなっている。十数年前は電車の中でサラリーマン風の青年が「少年ジャンプ」を読んでいる風景が話題になっていたし、その後本と言えば漫画しか読まない中学生や高校生が増えているといったことが問題になっていたのが、今は漫画すら読まなくなっているとか。ハードカバーの固い内容の本が売れなくなっている証拠に、函館でこういう本を見つけるのは難しいし、Bookoff(本のリサイクルショップ)のような雑本だけを置いている古本屋が繁盛している。日常生活の中で、時にはきちんと意味内容のある文章を読むという習慣が失われてくると、当然世界のさまざまな物事について深く考えることができなくなり、テレビなどの電波で一方的に流される情報をそのまま受け入れるようになる。自分では批判的に見て、聞いているつもりでも、知らず知らずに多数意見としての報道情報に支配されてくる。新聞や週刊誌、月刊誌の記事にはテレビよりもましなものが多いのは事実だが、それでも扇情的で無内容な大衆週刊誌や政府の提灯持ちとしか思えないような新聞、雑誌では同じことであって、そういう類のものを読み続けているだけでは、ただ書かれている事柄を鵜呑みにするだけである。批判などなかなかできるものではない。そのよい例が北朝鮮の拉致事件報道である。拉致はけしからん、ゆるせないといった合唱報道に批判的に抵抗するのは容易ではあるまい。何故このような事件が発生したのか、それも長い間放置されてきたのか。情報をもっとも集積し、独占している日本政府は、外務省は、公安、警察はその間どうしていたのか。何故もっと早く解決するために努力しなかったのか。北朝鮮が悪い、正義は当方にあると言い続けて、何をどう解決できると考えているのだろうか。周辺諸国、とくに韓国、中国の国民はこの拉致事件報道をどう思っているのか、共感されているのだろうか。国民感情を煽るだけあおって、結局困るのは政府ではないのか、そして最後に付けが回ってくるのは国民ではと思うのだが。鬼畜米英と言って国民を煽り、国際連盟脱退と大見得を切り、戦争への道を準備したのはそれほど大昔の話ではあるまい。日本政府に外交なしと言われて久しいが、今回の対応にも如実に現れている。
このことはこれ以上論じないが、じっくりと考えてほしい。そのために必要なものは、少なくとも日本が朝鮮を併合した1911年前後から現在までの日朝関係の歴史的な知識であろう。まだ解明されていない部分が多いけれども。
たいていの子どもも大人も、絵本や本に比べるとテレビ映像の方が刺激的で面白いと感じていることだろう。それだけにテレビに対抗する手段はゲームくらいで子どもにテレビを見る時間を制限するのはどの家庭でも困っている。大人ですらテレビは無為に時間を過ごす最良の手段となっており、テレビ中毒から脱却するのは容易でない。この実に難しいということが、まさにテレビの弊害と言える。麻薬と同じような一種の常習性にある。私の場合は、食事中はテレビは見ないという習慣をつけたことと、テレビに子どもを子守させない、子どもは友達と外で遊ぶ楽しみを覚えてもらう、子どもが見るテレビは時には一緒に見る、時間制限を子どもと約束して守らせる、本を一緒に読むといった程度だったが。
テレビは、筑紫哲也が言うように「テレビをやっているとつくづく思うが、活字って大事。何が大事かと言うと、活字というしにせのメディアが持っている知的水準。活字にとっての生命だ。テレビが一次情報を伝えチャンネル数が増えていく時代に一番求められているのは、目に見えぬ奥に何があるのか、それをどこまで掘り下げるのかだ。
例えば、オウム事件では『マインドコントロール』という言葉ひとつですべてが分かった気になっているが、そんな簡単なものではない。キーワードでものを片付けるのはテレビの方が得意。テレビの浅さというのはまさにそこにある。活字が同じことをやるのではたまったものじゃない」と1)、最近は活字ですらテレビの浅はかさと同じ知的水準になってきていることを嘆いている。
また井上ひさしは、テレビの「やらせ」に見られるように映像情報のもつ危険性について次のように指摘している。2)
「筆を執る者には考える時間が少しは与えられているのに、映像関係者には(例外はあるものの)時間がない。いま撮ったものをすぐ放映しなければならない。実況となると考える時間はまったくない。時間がないから情報の分析は無理、情報を整理することさえむずかしい、できるのは『あれはこれこれ』『これはしかじか』と指示することぐらい。映像による情報の速報性がじつは仇になっているわけです。テレビとは『急ぎの文化』で、そこに利点もあれば欠点もあるんですね。
スペクタクル、性と暴力、他人の不幸な噂、スキャンダル、お涙頂戴もの、そして秘境もの。わたしたちのテレビは面白主義の絵で凝り固まっています。
『面白い』が文化的な商品になっている。そこで作り手たちとしてはいっそうより面白い絵を求めざるを得ず、『やらせ』を起こしたりする。このようにわたしたちが面白主義的映像に熱狂している限り『やらせ』は必ずまた起こる。」
テレビは視聴者をアホにさせるだけでなく、送り手そのものも駄目にしている。
それは、永 六輔が芸人について述べている例でよくわかる。3)
「いま、テレビがあらゆる芸能の『送り手』になっていますが、テレビは芸人をつぶしていないでしょうか。
若い世代の芸人志向は目を見張るばかりです。
そして、その若者たちの芸人志向は、『楽して稼げる』という一点に集中しているようにみえます。
とりあえず有名になれば喰える、だったらテレビで顔を売ろうという、単純な構図ができています。
有名になりたいという夢がかなって有名になっても、支える芸は何もないという現実。
そして、そのことを別に恥ずかしいと思わないという感性。
『何もできない芸人』という芸人が生まれつつあるわけです。」
現在のテレビ映像がこのようにニュースも芸もすべてただの娯楽にしてしまい、面白くさえあればよいというように、テレビの質が悪くなってきたからといって、映像文化そのものが悪いわけではない。20世紀の映像の中心であった映画にはつまらないものも少なくないが、それでも芸術とも呼べる作品が多いし、問題があっても少なくとも日常化していない。日常性を支配するテレビ映像は、少数のすぐれたものはあっても、ほとんどがこのように俗悪な代物である。
原 寿雄は、「ジャーナリズムの思想」4)の中で、ワイドショーをとりあげて「人間の豊かな感性を花開かせるうえで、テレビはその可能性をもっと前向きに試みることができるはずなのに、既成の保守的な(しばしば動物的な)感性に迎合する安易な道を歩んでいる、と言えないだろうか。『ワイドショーこそ最も人間的な番組』というとき、セックスなど人間の本能に興味を傾斜し過ぎる。人間共通の欲望原理を情報価値の中心にすえることで人びとの関心を集めうることは確かだが、安直な『感性主義』に基礎を置いたこの社会観、人間観は一面的であり、しばしば人間性をおとしめている。」と、豊かになるべき感性が低俗な感性に貶められていることを批判している。
もちろん、テレビ、新聞、雑誌などジャーナリズムの送り手に低俗な人が多いというだけでは安易すぎるだろう。どの社会も自分にふさわしいジャーナリズムを持つ。「新聞・放送を見ればその社会がわかる」と言われるように、現在のこの情況は私たち自身の問題なわけである。
問題はこうしたテレビ文化の中でどっぷりと育ってきた世代がだんだんと物事について厳格に考えるという習慣がなくなってきたことで、彼らの多くが人生は気楽にいこうよということになる。それがまた「自分が納得できる生き方」とか「自分流に」とかの言い方に繋がるようだ。多分、このような言い方をする彼らの大部分は先人の真摯な生き方から学ぶためにまともな本など読んだことも読むこともないだろう。
灰谷健次郎は本を読むということについて5)
「本はなくても子は育つが、育ち方はだいぶ違うというのが、わたしの見解である。本を読むことによって与えられるものは、無限の自由であり、魂の飛翔である。ひとたびその世界に入りこめば、あらゆる人生を生きることができるし、何に変身することも許される。想像力もまたそこできたえられ、深い人間に至る道がひらかれる。
そのような自由を獲得するために本は読まれるのだから、間違っても読書に性急な教育的価値を求めたり、いちいち読書感想文を子どもに強いたりしてはならないのは自明のことである。
少し乱暴にいって、子どもたちの読書環境を十分に整えてやり、読ませっぱなしにさせればよろしい。
現実の世界は、不自由の世界ともいえる。
ものごとが思ったようにいかず、挫折をくり返す。人生とはそういうものだ。誰でも立ち向かわなくてはならない困難には、勇気とねばり腰がいる。そのエネルギーの源は、想像力だろう。
思いを巡らし、あれこれ考える人間は、短絡しないし、一直線に事を運ばない。
必然的に他者を思いやる。
読書が、子どもに与えるものは、きわめて大きいのだ。」
同じことは大江健三郎との往復書間でのナディン・ゴーディマの文にも深く書かれている。6)
「あなたも私も想像力を喚起する文学形式という点で、小説はどのような位置をしめるのかという問題に思い至りました。小説は一般の人々の知性にたやすくアプローチできる文学形式です。なぜなら、小説には民衆文化に根ざした古来の優れた技法があるからです。物語の楽しさです。健三郎さん、あなたは小説が子供たちや若者を読者として取り戻すことが可能だろうか、とお尋ねですね。そして、重要な留保を付け加えられます。『映像メディアをさらに抵抗感のない言葉で本にしたようなものではなく、真に小説という名にあたいする小説の読者として、喜ばしい緊張感とともに帰って来させることができるかどうか?』と。
想像力を鍛えるには、安易な物語ではなく本物の文学作品をもとにテレビドラマを作ったり、バラエティーショーの代わりに映像と音による生の朗読を行ったりすれば、それですむものではありません。個々人が自分の生き方を振り返り、人間として癒される経験をする−自分の精神と肉体の殻を乗り越えて他の人々と触れ合い、そこに自分と同じ生を見いだす−つまり、共感する能力を回復することが大事なのですから。こうした想像する力を再生(ルネサンス)させるためには、書かれた本のページのなかにある楽しさに個々人を連れ戻さなければなりません。とりわけこの『楽しさ』は大切です。真剣な文学を読んで得られるのは楽しさですから。『真剣』であることは『退屈』を意味しません。ユーモアも、言葉の遊びも、風刺も真剣なものです。
こうした文学上の手だてによって、私たち小説家は、悲しみを、愛を、怒りを、喜びを、失意を、疑念を理解し、表現するのです。小説家として、私たちは限りなく想像力を駆使します。と同時に、人間がさまざまな想念に翻弄されることも熟知しています。私が自分に禁じているのは、子供たちや若者の関心を引くための疑似餌として、作品をわかりやすくする、『薄めた』書き方です。正しいやり方ではないからです。文学をメディアに送り込み、それによって独りになって本を読むという、得難い体験へと個々人を導きたいのであれば、私たちは書きうる最高のものを提供すべきです。私たちが読者と分かち合うのは、限りなく広く、限りなく深く探求されたこの世界における人としての生き方なのですから。
だから、私たちは、偉大な文学がつねにそうであったように、みずみずしい想像力を備えていなければならないのです。そうでなければ、どうして私たちの仕事をつうじて想像力を解き放つことができるでしょうか。もし、そうできれば、読者もまた派手なテレビコマーシャルや暴力的な人間関係のあり方といった枠を破って、自分自身の生き方をありありと思い描くことができるようになるでしょう。」
ここまでに引用した文章は短くないけれど、熟読してもらえば、本を読むことの意味−人間の想像力を無限に育て、なにごとかを創造する喜びへと駆り立てる力を育てること−はわかってもらえると思う。人生の宝とも言うべき読書の習慣は、幼児の時は絵本を親や祖父母に読んでもらうことから始まるとはいえ、4,5歳になれば字を読めることが楽しみになるはずだ。一緒に買い物に行った時に見る看板の字でもなんでも読んで聞かせることだし、一字でも読めればおおいにほめてやることだ。そうして字に親しむことであるが、字は、ひらがな、カタカナ、漢字何でもよいものの、読めることが肝心で、書くことは学校に行くようになってからでよい。小学低学年ではとくにカタカナを読めることは大切である。大野晋がいうようにカタカナは漢字の一部であり、漢字に親しむためには、最初の文字として記憶するのに適しているというわけだ。大人でもカタカナの「ツ」と「シ」、「ソ」と「ン」の区別ができにくい人がいるが、ひらがなの「つ」や「し」、「そ」と「ん」との関連と書き順を考えれば容易にわかる。
小学低学年では親が一緒に読んで聞かせるのがよいだろう。そうしているうちに一人で気ままに読めるようになる。
ところで親に読書の習慣がなければどうなるだろう。私が子どもの頃(1950年頃)は家に本と呼べるようなものはなかったし、両親が読書を勧めたわけでもないが、本はよく読んだものだ。今から思えば私が読書習慣を身につけることができたのは、ひとつは時代の雰囲気のおかげであり、ふたつめは家庭環境だろう。戦争中紙が不足して本の出版が途絶え、本が手に入らなかったこと、多くのまともな本を読むのが禁止されていたこともあって、敗戦後は人々が本に飢えるという社会的雰囲気が強く、今のように新聞書評がなくても、何の本であれ、本の話題は人々の日常的なものであった。庶民が本を買うのは経済的に容易でなかったので貸本屋が全盛であった時代である。その上私の場合、日常生活のなかで親や年上の兄、叔父、いとこなどの間で話される下世話な話から深刻な社会問題に至るさまざまな話からの耳学問で、子どもの頃から物事への興味、知的関心が高まり、そういう雰囲気、環境が必然的に読書習慣を身につけるのに役だったと思う。それにラジオしかなかったこともよかったのだろう。
時代は変わり、現在は核家族化し、子どもをとりまく生活空間は極端に狭くなっている。社会的雰囲気も読書以外に興味のあるものが多い。ハリーポッターのように映画がヒットしてから本が売れるという時代である。学生が社会問題で論議をすることもなくなった。多くの兄弟姉妹がにぎやかに話をすることもなくなった。親が本を読まず、テレビだけでの生活や夫婦の会話が単調で、そのうえ親が忙しくて子どもとの会話が貧しい生活では、学校教育の場があっても子どもは基本的な言語すらまともに話せない時代になっている。子どもの言語生活空間が台無しになっている家庭で子どもの読書習慣など論外である。
日本語が乱れているとか、敬語が死語になったとか、学生の多くがメールは熱心でもまともな文章が書けないとか、カタカナ外来語が氾濫しているとか、日本語についてさまざまな問題が指摘されているのは、日本人の言語生活空間そのものの破壊が進んでいるからだと思う。言い換えれば、このような日本語の問題は単に言葉だけの問題ではなく、日本の自然環境が破壊されてきたこと、社会の人間関係が希薄になり、人と人との連帯感がなくなってきたことと関係が深い。それは日本の山が痩せ、森が痩せ、川が、海が痩せてきたのと同じように、人と人との繋がりが痩せてきて、その結果人々が使う日本語も痩せてきたのだと思う。
これに対処するにはどうすればよいだろうか。読書の習慣は、問題解決の助けにはなるだろうが、より本質的には、私たちが、自然と人間性を破壊してきた日本社会の全体的傾向を批判的に見ること、豊かな言語生活を作り出すために生活全体を見直し、そして日本語を豊かに使いこなせるためになすべきことを考え、具体的に日常生活の中で実行していくことだろう。
時代の多数派は常に倫理観も秩序観も美意識も、ますます現実主義と保守主義に傾きがちである4)。私たちがこのような現実を批判的に生きるためには、少数派としての生き方を選択する覚悟が必要かもしれない。それだけが子どもの未来を保障する手だてのように思える。
引用文献
1)筑紫哲也 インタビュー「読者に鈍感 記者クラブ」 毎日新聞、1996/1/15
2)井上ひさし「『やらせ』はまた起こる」 毎日新聞 1993/2/8
3)永 六輔 「芸人」岩波新書(1997) P.123
4)原 寿雄 「ジャーナリズムの思想」 岩波新書(1997)
5)灰谷健次郎 「いのちまんだら 子どもの本が危ない」 朝日新聞 1998/10/7
6)ナディン・ゴーディマ 「往復書間 未来に向けて」 朝日新聞 1998/6/2
2.日本語を豊かに使いこなせるために
日本語を聞く、話す(あるいはしゃべる)、読む、書く、という四つの行為は、特別な障害がない限り、上手下手はあってもたいていの人ができる。このなかで、聞くのと話すのは、赤ちゃんが成長するにつれて家庭の中で自然と身につける。自然と身につけると言っても、両親や祖父母、近所の人、保育所の保母さんなどまわりの大人が赤ちゃんに向かって積極的にはっきりと話しかける習慣がないと成長するにつれて言語だけでないさまざまな問題が生じる。テレビで子守をさせるようなことはとくに弊害が多い。読むと書くは、普通、学校教育の場で身につけさせられる。日本語を豊かに使えるというのは、まずなによりもこの四つの行為を日常生活において正確にきちんと実行できる。つまり言葉の意味を、意味通り正確に聞くことができ、話すことができ、読んで理解でき、そうして書くことができることである。
その上で、氾濫する膨大な情報群の中からジャンク(ごみ)情報と生きていくのに必要な情報を聞き分ける力を鍛え、さらに人に喜ばれるような聞き上手になり、また人が気持ちよく納得できるような話し方、あるいは人を説得できる話し方、あるいは心底人を奮い立たせたり、反対に人を震え上がらせるような真摯で厳しい話し方も必要になる。
読むのは、教科書的な知識の吸収やおもしろいだけの本や雑誌、漫画で終わるのではなく、より深い知識、より深い人生の意味を悟らしめる哲学書や文学と呼ばれるだけの価値あるものへと向かうのが望ましい。こういう方向への読みは、聞いたり、話したりする行為より一段と努力がいる。もちろん漫画にも評論、小説、雑誌、新聞記事にもおおいに心をすがすがしくさせるような、あるいはこころを奮い立たせるようなもの、考えさせられるものも数多くあるので、積極的にどんなものでも読む気持ちは持ち続けるとよい。とくに若い時に乱読でもよいから数多くの分野を読みこなしていると、年を取ってくるとだいたいが読むに値する文章は自ずから見分けられるようになる。
書くというのは、手紙でさえ書く人が少なくなった時代だが、人を感動させるだけの文を書くのは実際になかなか難しい。現在は書くのは苦手という人が増えているだけに、ともすれば話すだけで済ませる傾向が強いが、記録という意味でも書くことは大切である。これについては後に詳しく述べる。
ところで四つの行為−聞く、話す、読む、書く−で使われる言葉そのものは、内容から分類すると、認識の言葉、コミュニケーションの言葉、文字の言葉の三つに区分できる。四つのどの行為中であっても、頭の中で飛び交う言葉を自分なりに理解した上でないと使えないのは言うまでもない。この頭の中で処理されている言葉が認識の言葉である。考える力のある人というのは、この認識の言葉が的確に動作しているともあるいは的確に処理されているとも言える人である。または頭の中にたくさんの語彙が整然と整理されて詰まっており、それらの語彙が自在闊達に引き出されて使いこなせる人ともいえる。
この認識の言葉は、言葉を意識的に使えば使うほど中身が豊かになり、磨きがかかってくるもので、減るようなものではない。ここで述べている『意識的』というのが大事である。ただ考えもなしにおもいつくままにしゃべったり、ただ人の話を聞き流すだけ、読むのは週刊誌のゴシップだけ、かくのはメールか背中だけでは、言葉そのものが錆びついてくる。
コミュニケーションの言葉はいうまでもなく、話し言葉である。書き言葉と話し言葉の違いは、話し言葉には、冗長語の部分、つまり意味内容があまりない部分が多い。「エー」とか「アー」とか、「それで、それで」とか、同じことを繰り返したり、話しがあちらこちらに飛んで内容が終始一貫しないような場合である。ところがそういう時も、良い聞き手だと話し手の声の調子や表情などで言わんとすることがわかる。これは書き言葉に比べて話し言葉のすぐれたところで、話しに、身振り、手振りが加わり、声色の応援もできと、言葉以上の意味の伝達が可能になる。
講演とか講義のような場合は書き言葉に近い場合が多いが、普通の会話では、大体60から70%が冗長語で、意味の伝達という目的からだけではなくてもよい言葉だ。しかし、これがないとぶっきらぼうな話し方になり、味も素っ気もない話になる。人が会話を好むのはこの冗長語のためともいえる。
文字の言葉は、読むのと書くのに必要な言葉である。日本語の場合は、後に詳しく述べるが、語彙は、大きく見て、和語と漢語と洋語(外来語とも呼ばれている)、およびそれらの混成語の四つに分けられる2)。この四つの語彙を覚えて使いこなすことで、的確な表現方法、いい文章が書けるようになる。書き言葉は、話し言葉に比べて冗長語が少ないので、ひきしまった文になり、意味伝達の役割では圧倒的に正確になる。もちろん、文字の言葉も読んでリズムやテンポの良い文が大切なことはいうまでもない。
認識の言葉は、頭の中で整理されているように思っても、それを話し(コミュニケーション)言葉にしたり、書き(文字)言葉にする場合は、そのままというわけにはいかない。ほとんどの場合は、思ったことの半分も話せないし、書くことになるとその話しの半分も表現できないのが普通である。そこにこの三つの区分の違いと重要性がある。
ところで文字の言葉が広く使われるようになると、逆に話し言葉に影響を与えるようになる。また現在のようにマスメディアの発達で、しゃべくり言葉とでもいうべき話し言葉が氾濫してくると、文字の言葉にも大きく影響を与える。これらの複雑な関係は別な機会に論じる。
ここでは、もっとも難しい書くことについて自分なりに気をつけていることをいくつか述べたい。これからの時代は、書けることがひとつの大きな能力になるだけに、孫たちには、よい文章が書けるように、意識的に訓練させてほしい。そのための第一歩は、すでに前に述べたように、いい文章の本(もちろん中身も含めてだが)を読んで聞かせることであり、次に本に興味を持つようになったら、必要な本を必要なだけ、必要と思われる時期に与えるようにしてほしい。興味のないときに買い与えても、たくさんの本を揃えても、難しい本を与えても、本嫌いにさせるだけである。赤ん坊の時から小学校4年くらいまではゆっくりと時間をかけて読み聞かせてほしい。それからは自分で読ませればよい。中学生になれば、親が提案したり相談しながら、自分であるていど読みたい本を判断させればよい。高校生からは本人にまかせればよい。読書の習慣が付くのは小学校時代である。
このような時期を過ごすと自然と語彙が豊富になり、高校くらいから文を書くのに抵抗が少なくなる。つまり文を書くのは、小さい問は無理をさせないことで、小学校の時期に作文や感想文、日誌などにそれほど力を入れる必要はない。書く気がある子だけ書かせればよい。もちろん、書いた文はおおいにほめてやることだ。
<よく書くためには>
これについては、これまで出版されている多くの文章読本(井上ひさしのものが面白い)などでも、だいたい同じことを言っている。
「よく書くためには、まずよく読み馴れること。たくさん読むこと。つまり文章全体をつかみとる技を身につけること」1)
こうして語彙を豊富にする、文脈ごと言葉を覚える、いい文は書き写す、古典を読む、すぐれた本は何度も読む、などである。最後の古典を読む、一流の本を何度も読むというのは、現在のスピード時代にあってはなかなかできない。それに一度読んでも面白いと思うことは少ないので、それなりの決意が必要だろう。
「古典を読むためには、むしろことさらに時間が必要だし、その作品の生まれ出た時代環境に関する知識も必要で、つまり何度も繰り返して徐々に深入りしてゆくほかないのが古典というものなのである」(大岡 信)
いい書き手になるには、いい読み手になることで、いい読み手がいい書き手を育てることにもなる。できればいい読み手を身近にもってほしい。私の場合は家族である。大学生の息子がいちばん厳しいが、的を射ることが多いので助かっている。
<語彙の数>
語彙の数では、日本語は英語やフランス語、スペイン語などに比べて、たくさんの単語を必要とする言語だという2)。日常会話で1000語覚えると、フランス語では84%理解できるのに、日本語では60%しか理解できない。フランス語で5000語の単語で96%理解でき、あと4%だけ辞書を引けばよい。日本語は96%理解できるためには、2万2000語の単語を覚えなければならないという。
そのうえ、日本語の語彙は、大きく見て、和語と漢語と洋語(外来語と呼ばれているが、漢語も外来語だから洋語と呼ぶべきだという)、およびそれらの混成語の四つに分けられる2)ので、これらを使い分けることも容易でない。分厚い外来語辞典が出版されるほど外来語が増えており、NPO,NGOなどの省略アルファベット語は、今でも理解できないものが多い。シナリオ作家の倉本聰は、パネラーになったおり、講演者がアセスメントと連発するのを、何か新種のセメントかと思っていたとか、私も最初聞いたときはよく分からず、何故環境影響評価と言わないのかと思った経験があり、笑えない話である。
和語(ヤマトコトバ)は情趣的な表現の言葉を細かく発達させたが、物事を客観的に見て細かく言い分けるには、漢語が適切だと言う1)。そのためには一字一字の漢字の意味を覚え、漢語を区別して使えるようになることで、言葉に敏感になることを強調している。たとえば「思う」と「考える」はどう違うのか1)。漢語はおよそ2000字が使いこなせればいいとしている。
ところで今は、漢字はワープロでどんな難しいものでも書けるけれども、そのために漢字だらけの文にお目にかかることが増えてきた。読めそうにない漢字はふりがなをつけてもらいたいし、次のような言い方はできればひらがながよいのではないかと思う。
例えば、出来る、事、様々、大変、特に などなど
助詞の使い方も自然と身につけているようで、いざ書くときになると判然としない場合が多い。たとえば、次のような場合の違いはわかっているだろうか。こういう助詞の違いは、日本語を外国人に教える時に難しいものとしてよく知られており、私たちでもなかなか説明できないものだ。
<副助詞「は」と格助詞「が」の違い>
「は」と「が」の違いは参考本で詳しく述べている1.2)。簡単に説明すると、
・私は日本人です。昼飯はまだ食べていない。春は眠い。
の例文のように、「は」はその時の話題を表す助詞であり、聞き手にとってはすでにわかっているものの場合に使われる。「私」「昼飯」「春」は聞き手にとってわかっている相手であり、事柄である。それに対して
私が日本人です。
という時は、聞き手にとって誰が日本人か不明であって、それが「私」だと名乗られてわかる場合である。
・昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。どんぶらこと桃がながれてきました。
話の中ではじめて出てきた時は「が」がつき、二度目では「は」がついている。このように「が」は、聞き手にとって話の内容がからっぽであって、話し手からは相手に予備知識を与えるために使うことになる。それに対して「は」は相手がわかっていると見定めてから使う。
雨が降ってきた。
も、雨かどうかはまだ相手にわかっていない事柄である。
そのために、「金がある=金持ちだ」と言い変えられるが、「金はある=一語では言いかえられない」というわけで、「が」と「は」は、ともに主格を表す助詞とみられているが、かなり性格の違った助詞である。
<終助詞「よ」「ね」「か」の相補分布>
後の終助詞の違いは次のような説明がよく分かる3)。
「今日はよい天気ですか」の「か」 情報が聞き手のほうにある。
「今日はよい天気ですよ」の「よ」 情報が話し手のほうにある。
「今日はよい天気ですね」の「ね」 情報が聞き手、話し手双方にある。
<コミュニケーションとしての日本語の特徴>
日本人の言語によるコミュニケーションは高文脈型といわれ、見たり聞いたりしたもののごく一部だけを言語で表現し、残りは聞き手の推測にまかせるという、文脈(コンテクスト)依存性の高いタイプである。これに対し英語などは低文脈型と呼ばれ、できる限り多くの情況をことば化する傾向が強い。その結果として英語では、ことばで表明されなかった情報はなかったこととして無視されるが、日本語ではしばしばそちらの方が重要な場合さえ起こる。11)
しかし、外国人、日本人に限らず、言葉を使いこなせる人は会話の中で相手の微妙な意向を理解し、それに応じた動きができるものである。現在は、一部の年輩者を除いて相手の微妙な意向を理解して動くことができるような上品な人はほとんどいなくなったように思う。
<その他>
・日本語では、全体をしめくくる、いわゆる[述語]が文の最後に来るので、長い文章よりは短い文章を書く方が簡潔な文になる。もちろん長い文が悪いわけではないが。
・「〜のである」のような強調した表現を多用するのは、押しつけ気味になるので避ける。「・・・が、・・・が」とだらだらと続く書き方は使わないようにする。
・「〜かと思われる」「〜と見てもよい」といった歯切れの悪い表現は使わないようにする。
・句読点の付け方に留意する。とくに読点(、)の付け方は、規則がないので難しい。少なくとも書いた文を読んでみた時に、息継ぎのするところに読点(、)をつける。さらに文が長すぎると思う時は、短くするか、読点(、)で読みやすくする。
・語彙の意味をより深く理解するのに語源を調べることは結構役に立つ4)。また外国語との比較や5,6)、言語学的な考察7,8)、日本語の起源論9)などもなかなか面白い。
たとえば、語源としての例では、
<語源としての翻訳例1:「公」おおやけという言葉の意味>
日本語のあいまいさを代表する言葉のひとつに「公」という語彙がある。これはパブリックという英語の翻訳であり、本来、社会の横のひろがりを意味する観念であった。ところが実際には「公」、おおやけとして、お上によって占有される言葉になっている。
これは、「公」、パブリックという漢語、英語が、おおやけというやまとことばとの対比についてあいまいなままにされてきたことに原因がある。
明治維新まで日本ではパブリックの概念がなかった。それまで日本で「公」というのは、昔から一般的には君主とか政府とかいう上級の権威を意味してきたのに、パブリックの訳に「公」を当てたために、混乱が起こり、あいまいなまま現在に至った。「公共」という語彙もその代表例で、公共建築物というのは、本来市民が横並びに自由に使えるものであるのに、お上の管理物になって、「公共のために我慢してください」というようになる。
公園の「公」も西洋からの輸入観念であって、公園は、市民みんなが平等に利用する場所の意味で、パブリックの意味が生かされている。これは当たり前のようであるが、非常に重要な問題である。福沢が作った訳語である「会議」「演説」「討論」は、すべてパブリックの観念と関連している。しかし「公」という言葉ひとつとっても、日本語にはあいまいなまま使われている語彙が多い。とくに政治的語彙にあいまいなものが多い。これは、丸山眞男が「超国家主義の論理と心理」の中で強く指摘していることである。
<語源としての翻訳例2:柳田国男の教育のお話12)>
勉強することをマナブという。これは中国の「学」という文字の翻訳である。教育されることをマナブという。そのマナブというのは、あまりいい言葉ではないと柳田は言う。マナブという言葉の日本での古い言い方は、マネブである。真似るということだ。しかし日本語にはオボエルという言葉がある。オボエルというのは、真似るということではない、そこから一歩踏み出して自分の頭で、自分の身体ではっきりとらえることを、オボエルという。「自転車に乗ることをオボエル」といい、「いったんオボエルと忘れない」というぐあいである。このオボエルは、中国の文字では「覚」に相当する。「学」のもっと難しい字は「覚」の難しい字と古い中国では同じ使われ方だったのであり、「学」の本当の翻訳はマナブではなく、オボエルの方が近い。だから本当の教育は、オボエルことと言うべきだ。このオボエルは記憶するという意味での「憶える」とはちがう。自覚するという意味での「覚える」である。
マネル、マナブ、オボエルにきて、次にサトルがくる。これにも柳田は「覚」という漢字をあてている。サトルというのは、教えられたものを越えて、自分で発見する。本当の知恵をえるということだ。
柳田は、このように真似る、学ぶ、覚える、覚るという日本語の語源を検討することから、教育のありかたを見直すことを主張している。
<日本語の起源:大野 晋の仮説9、10)>
日本語はどのようにしてできてきたのか。いろんな仮説があるけれども、次の大野の仮説は雄大で、考証も説得力があると思う。最近、東北の縄文人が脚光を浴びてきたが、彼らの航海術がなみたいていのものではなかったと見られていることを考えるとますます信憑性が高い。
「日本には縄文時代にオーストロネシア語族(南方系)の中の一つと思われる、四母音の、母音終りの、簡単な子音組織を持つ言語が行われていた。そこに紀元前数百年の頃、南インド(タミル語)から稲作・金属器・機織という当時の最先端を行く強力な文明を持つ人々が到来した。その文明は北九州から西日本を巻き込み、東日本へと広まり、それにつれて言語も以前からの言語の発音や単語を土台として、基礎語、文法、五七五七七の歌の形式を受け入れた。そこに成立した言語がヤマトコトバの体系であり、その文明が弥生時代を作った(その頃、南インドはまだ文字時代に入ってなかったので、文字は南インドから伝わらなかった)。寄せてきた文明の波は朝鮮半島にも、殊に南部に日本と同時に、同様に及んだが、中国が紀元前一〇八年に楽浪四郡を設置するに至って、中国の文明と政治の影響が強まり、南インドとの交渉は薄れて行った。しかし南インドがもたらした言語と文明は日本に定着した。その後紀元四、五世紀に日本は中国の漢字を学んで文字時代に入り、漢字を万葉仮名として応用し、紀元九世紀に至って仮名文字という自分の言語に適する文字体系を作り上げた。」
引用文献
1)大野 晋:日本語練習帳、岩波新書(1999)
2)金田一晴彦:日本語(上)(下)、岩波新書(1988)
3)大曽美恵子:日本人にとっての外国、ドメス(1991)
4)堀井令以知:語源をつきとめる、講談社(1990)
5)梅棹忠夫:実践・世界言語紀行、岩波新書(1992)
6)森本順子:日本語の謎を探る、ちくま新書(1996)
7)鈴木孝夫:教養としての言語学、岩波新書(1996)
8)鈴木孝夫:ことばと文化、岩波新書(1973)
9)大野 晋:日本語の起源、岩波新書(1994)
10)大野 晋:日本語の教室、岩波新書(2002)
11)大野 晋、森本哲郎、鈴木孝夫:日本・日本語・日本人、新潮社(2001)
12)大江健三郎:鎖国してはならない、講談社(2001)