木を植えた人   ジャン・ジオノ


 その本を書いたのは、ジャン・ジオノという名のフランスの作家だ。フランス南東
部の高地の描写から始まる。作家は一人旅に出ている。無人の丘陵地帯。荒れ果て、
乾燥し、風がたえまなく吹く。
日ざかりに水を求めて歩くうち、羊飼いに出会う。
 ひょうたんの水を飲ませてもらい、小屋に泊まった。五十代の羊飼いは、口数が少
ない。だが、一緒にいると心が落ち着いた。夜、羊飼いは袋を持ち出し、ドングリを
ざあっと食卓にあける。
一つずつていねいに調べ、よい実をより分ける。百個そろえた。
 翌朝、出かける時、羊飼いは親指ほどの太さの鉄の棒を持った。長さ一メートルほ
ど。ある場所まで歩くと、鉄棒を地面に突き刺した。
そうして作った穴にドングリを一つ入れ、土でふさぐ。つまりカシの木の種をまいているのだ。
一粒ずつ、心をこめて百個。
 この出来事のあと戦争が始まり、戦後、何年もたってから、作家は再び高地を訪れ
る。驚くべし、かつて何もなかった丘陵や谷間に、カシだけでなく、ブナも生い茂っ
ている。しかも自然の連鎖を目のあたりにした。
せせらぎが聞こえ、水のほとりに
は、風の運ぶ種から出た植物も…。
 あまり詳しく紹介すると、この短く美しい物語のじゃまをしてしまうことになりそ
うだ。しかも、簡古で表現力ゆたかな文章の趣を損ねることになりかねない。『木を
植えた人』(原みち子訳)を読んで、ふかぶかとした気持ちを味わった。四十年近く
も前に書かれた本とは思えない。
 自然や環境を扱っているが、それだけで今の人々に訴えかけるわけではあるまい。
訳者がいみじくも記しているように「ほんとうに世を変えるのは、権力や富ではな
く…ねばり強く、無私な行為」であることを、あらためて想起させる。それに羊飼い
の生き方が私たちのと大違いだ。
 質素。粗食。ぜいたくや華美の反対。規則正しく穏やかな仕事。人に知られぬとこ
ろでの、力まぬ日常…。忘れているものを思い出す。

                               「天声人語」より



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