「こんな町に住みたいなー」

                            欧陽叡叡
  私が生まれ育った所は、一歩家を出ると人、人、人。雑踏と人いきれがごく当たり
前な中国の大きな街です。
最近、中国の若者達も外国に留学したり、国外で活躍する機会が少しずつ増え始め
ています。しかし、日本に来る大多数の人は情報不足のせいもあるでしょうが、やは
り大都会指向です。


          中華会館

 そんな中、私が選んだのは北海道の函館でした。「本当に牧場以外、何んにもない
んですか」(多分に中国で放映されたテレビ番組の影響。『北の国から』)こんな素
朴な疑問を持つ私を友人は、あちこち案内してくれました。「こゝが繁華街ですよ」
「うっそ、人がいないじゃない。」こんな町に住んだら寂しくて、つまらなくて死ん
でしまいそう。“コミュニケーションのある町づくり”コマーシャルで見かける言葉
ですが、私にとっては大勢の人と交流し、情報交換をし、良い友人を作り、出来れば
恋人も?これがとっても大切な事なのです。言葉のハンディもあり、ホームシックに
なり「どうする。帰りますか」と何度も自分に問いかけました。でもその内、日本語
も何とか話せる様になり、友達も何人か出来ると、コミュニケーションと町が不思議
に結びついて行く事に気が付きました。休みになると仲の良い友達と、おしゃれな品
が沢山並んでいる明治館、ガラス・ショップ、オルゴール館と回り、何んど来ても飽
きないウォーター・フロントを散策し、ちょっと疲れたら旧イギリス領事館で午後の
紅茶。まさに気分は最高です。素敵な町並みがコミュニケーションを誘う、変な発想
でしょうか。


            外人墓地

 ある日、町を歩いていると、地図を指さしキョロ、キョロしている旅行者を見掛け
ました。目が合うと何んとなく「ヘルプ・ミー」の感じ。「ひょっとしたら中国人か
な。思い切って声を掛けました。「ニイー是中国人マー?」彼は目を大きく見開いて「えっ、
中国人?」台湾からの旅行者は日本語が全然駄目。「でも漢字の看板や地図を頼りに
何んとが歩いていますよ」とうれしそう。「函館は初めてですか?良かったら案内し
ましょうか」勿論、彼は大喜び。相手の希望もそっちのけ。私の一番好きな所を地元
の人の様に得意顔で案内。明治館、公会堂、ハリスト教会、中華会館、そして函館市
民の誇れる夜景。「どうですか。美しくてロマンチックな町でしょう」「貴方は外国
人じやなくて、まるで地元の人の様にこの町を自慢していますねぇ」「もちろん、こゝ
は私の第二の故郷よ。」如何ですか。これで町並みがコミュニケーションを育むと言
う私の発想も満更でもない事が分かるでしょう。


       ハリストス教会

 所で、エキゾチックと言われる町並みは中国にも少なからず見られます。代表的な
のは上海のバンド。山東省の青島。遼寧省の大連もそうでしょう。どれも非常に大き
な規模で、町なかに外国の異なった文化が存在すると言う違和感があります。調和と
は違い、厳然とした過去の歴史を背負った姿は重苦しさすら感じさせます。
 函館には伝統的建築群を保存する条例があるそうですが、それなりに大変なご苦労
もあるのでしょうね。古い物が必ずしも重要なのではなく、残す価値のある物を残す。
この姿勢には私も同感です。
 改革開放政策の中国では、古い建物がどんどん取り毀され、近代的なビルが建てら
れいきます。この姿こそ、経済発展のシンボルなのだと頼もしく感じていた私も、余
りにも急激な町の変貌にはついて行けなくなりつゝあります。やはり急激なものには
ひずみがついて回るのでしょう。日本のバプル経済も随分、町の姿を変えてしまいま
したね。これからは、どうすればこれを残せるのか。どの様にして次の世代に伝えて
行くのか。こわす。つくる。この繰り返しにのこすと言う新たな語句を付け加える必
要があるのではないでしょうか。
 外国人の私にとって西部地区の町並みは、いずれも突出せず、控え目で、本来の日
本人が求めた調和そのものである様な気がします。今後、この町はどの様に変って行
くのでしょうか。こんなにもおしゃれで私好みの港町。食べ物も美味しいし、人情も
結構温かいよ。出来たら死ぬ迄この町で暮らしたい。
 函館!そんな気にさせる素敵な町です。

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