GLAYが育った街
                     松井里沙(桔梗中1年)

  GLAYが生まれ育った街、辻仁成が学生生活を送った街、そけだけではありませ
ん。遠い昔、石川啄木が移り住み、高橋掬太郎が林不忘が亀井勝一郎がそれぞれの分
野で刺激を受けた町、それが私達の住む函館です。
私達はGLAYが感じた何かをこの街から感じています。それは石川啄木が感じた
ものとは違うものだと思いますが、何の才能もない私には良い街としか感じられなく
とも、何か特別な才能のある人には、とても素敵な刺激を受けられる街なのです。
函館の中央に近い五稜郭公園の小高い丘に登ってみますと、北の方向に横津岳など
の高い山並みが見えます。そして、東西に海があって南側には函館市のシンポルとも
言える山、函館山が見えます。そうです。函館の町ではどこからも山が見えます。そ
して、海を見ようと思うと、車で30分も走らなくてすむところに海が有ります。その
海も、山にかこまれ波の少ない函館港と、いつも荒々しい津軽海峡に面した下海岸の
海です。


           函館山からの夜景

 海が有るのですから当然のこと港が有ります。私は聞いたことが有りませんが、昔
は青函連絡船の汽笛の音や港近くで霧や雪の日に独特の音をたてていた霧笛の音が、
その日によって様々な音に聞こえたそうです。今は連絡船も霧笛も有りませんが、港
が有るというだけで、とてもロマンチックです。
それだけではありません。何となく寂しいロマンチックさをただよわせる港だけで
はなく、近代的な香りのロマンチックさのある飛行場もあるのです。
 港を中心に開けた函館には、西部地区と呼ばれる歴史的建造物が建ち並ぷ地域があ
ります。そこでは函館の過去の繁栄の様子を想うことができます。そこから“電車道
路’と呼ばれた市道を五稜郭へ向うと、途切れることなく店が続きます。これも函館
名物だそうで、町全体がにぎやかな感じで私は大好きです。
でも、最近はコンビニやスーパーに買い物客を奪われて、店の数はどんどん減って
います。大きなスーパーは私達若い人には楽しいものですし、おとなの人達にとって
も便利なものですが、函館らしさがなくなってしまいます。
 私の祖母は、買い物へ行くと、店を出て来る時に「どうも」といいます。買ってく
れてありがとうと思うのは店の人だと思うのですが、函館では昔からそうしてきたそ
うです。ですから、函館のお年寄りは、店屋の名を呼ぷ時「00屋さん」と敬称をつ
けます。「棒二さん」「丸井さん」と言う風にです。でもスーパーは皆呼び捨てです。
私は、函館の街並が函館の人情をつくり文化をつくってきたと思います。西部地区の
歴史的建造物や五稜郭の新しい感覚の街造りだけが函館なのでなく、函館の町並すベ
てが有ってこそ函館だと思っています。
 私の住みたい町は、函館です。他の町にないものが沢山あります。そうです、沢山
の店があります。
「文房具をあの店で買ったら、隣の店で本を買って、裏のお菓子屋でおみやげを買っ
て…」、なんて素敵です。当然、あちらこちらから、「ありがとう」「どうも」といっ
た声も響いてきます。
このような暖かい人々の交わりをもたらす店並を守っていくことは、現代において
は大変なことかもしれませんが、みんなで知恵や力をあわせれば守ることができる、
と考えています。特に函館の冬の雪や強風への対策は、快適に買物をするために、是
非とも必要だと恩います。
 それから、私が満点と思う町には知的な刺激が必要です。
函館には、私達が勉強に利用できる博物館や図書館の施設が充実していません。第
一、私達中学生が行くには遠すぎる場所に有ります。それと、普通の大学が有りませ
ん。今、函館市では”未来大学”を建設していますが、私の望む大学は、沢山の人が
希望して行ける総合大学です。
総合大学ができれば、函館で生まれ育った若い人達が、函館に沢山残ります。そう
すれば、私が大切にしたいと考えている「店並」の良さもわかってくれると思うのです。
もちろん、総合大学ができれば、関連して企業も進出してきますから、町全体も活
気が出てくると思います。
 その企業で働く人も、大学へ来る人も、他の都市から来る人も沢山いると思います。
その人達も、函館の町に並ぷ店と、そのユニークな買い物風景に、だんだんなじみ、
そして、それを吸収して、他の都市に移り住み、その良さを伝えていくかもしれません。
 函館の町につらなる店、そこでかわされる会話、それに世界的な知識の刺激、これ
は私にとって日本一、いいえ、世界一「こんな町に住みたいな一」の街になりそうです。

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