私の函館山一周記
伊藤 繁
貴兄の寄稿を読んで,白水君,亡くなった教行君,森先生,田中先生と小生の5人で
函館山を一周したことを思い出しました.前回の同期会通信で貴兄が函館山一周の
話を書いてくれましたが,そのときに感想,あるいは回想をと思いつつ,果たせま
せんでした.今回は貴兄ともメールで交信できますので,早々と書くことができま
す.これもIT革命の恩恵でしょうか.高校3年の連休のときにいったのですが,あ
の頃いつも一緒に行動していた君や隆夫君はどうしたのでしょうね.
穴間側からスタートしたのですが,そこの吊り橋には,ワイヤーロープが4本掛かっ
ていただけでした.一周するのに何の下調べもせずに,漠然と「一周できるはずだ
」ということだけを信じていましたから,最初の関門に,「いけないのか」という
不安がよぎりました.しばしみんなで悩みましたが,せっかくのチャンスですから
渡ることにしました.両手を上のロープに,両足を下のロープにかけて歩いたので
すが,あのとき落ちて事故にでもなれば,先生方もタダでは済まなかったでしょう
ね.未だによくぞ無事に渡ったものだと思います.
寒川を通りまして,そのときここに人が住んでいたことが話題になりました.一致
した意見は「どうしてこんなところに・・・」ということでした.楽しくもあり,
また地獄でもあり,という寒川の人びとの回想は,確かに,相反する見方があって
然るべし,というところでしょうか.やさしく海の恵み豊かな自然と牙をむく自然
,不便な生活とそれゆえにゆとりある生活,生活条件がわるいからこそ必要な共同
生活とその煩わしさ.貴兄の結論のとおりだと思いました.もっとも,これはわれ
われの現在の生活にも当てはまることかも知れません.
寒川から山側に道があることは,貴兄の寄稿で知りました.また洞爺丸台風で壊滅
的な打撃を受けてから,住むことをあきらめたことについては,うろ覚えでしたが
,改めて再認識しました.あの台風については今でもはっきりと光景がよみがえり
ます.あのような海にへばりついた場所ではひとたまりもあるまい,というところ
でしょうか.洞爺丸台風はわれわれが小学2年のときですから,そのころまでに一度
くらい寒川にもいっているかも知れませんが,はっきり思い出しません.番屋があ
ったような記憶がおぼろげながらある程度です.ついでにお願いですが,穴間の洞
窟に関する探検話もいろいろあると思いますので,触れていただければ幸いです.
昼食は,ちょうど千畳敷の下あたりでとりました.田中先生が大人のジュースだと
か言って,日本酒を森先生と飲みだしました.実は吊り橋を渡るとき,田中先生は
風呂敷包みの昼食を大事そうに背中に背負ったことをみんなで思い出しまして,笑
ったこともありました.
立待岬側は,貴兄のように海岸ではなく(前回の寄稿),山側の道を選びました.
この道も相当の難所で,一歩踏み外すと大変なことになるようなところでした.小
生は蛇が嫌いなので,とにかくこんなところであいつが出てきたら,それに驚いて
落ちていたかも知れません.幸い,遭わずに済みましたが.締めくくりに,谷地頭
温泉で汗を流して,無事に函館山一周を達成したことに満足したという次第.
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