−夏期セミナー(2001.8.19)−
21世紀の時代におけるこれからの暮らし方を考える
                                  
                                    
吉田総夫 

 21世紀の初めに高齢化と少子化の社会を迎えつつある日本では、高齢化と少子化は
あまり良いイメージで語られず、むしろやっかいな問題だと見られています。
また人口問題や資源問題、地球規模で深刻化しつつある環境問題は、なんら解決の方向を
見いだせていません。このままでは21世紀は20世紀に生じた多くの問題の後始末の世紀
のように思われます。
 こういう今のいろいろとやっかいな社会状況を見るにつけ、自分が生きてきた20世紀後半の
戦後社会で経験してきたものの中で、21世紀を主に生きる若い人々に、またこれから生まれて
くる世代に伝えておきたいこと、残しておきたいものを記録しておきたいと思っています。
 今回のセミナーでは、これらのうち、いくつか話題を提供してみなさんの話のネタにしてもらおうと考えています。

1.事物は、人は変化するということ
 一生のうちには、政治、経済や文化が大きく変わる時期があること、そして人々の生活意識を
支えている価値観が災害や不幸に出会うことで大きく変わることがありうるということです。
 私の経験としては、戦後の価値観の変貌があります。
 1930年からはじまった中国との戦争は、15年間も続き、最後に米国との戦争によって
1945年8月15日に敗戦を迎えました。明治維新以降の富国強兵を国家目標としてきた
国家中心主義の価値観は敗戦によって崩壊させられました。戦後は、食料、燃料の不足から
あらゆる物が極端に不足し、飢餓の状態に置かれたのです。生産の復活が国家目標となり、
朝鮮戦争(1950.6.25〜53.7.27)の特需景気をきっかけにして経済が回復するにつれ、人々の
価値観は明らかに変わってきました。戦前の長い年月にわたり「欲しがりません勝つまでは」の
欲望を押さえ、辛抱してきた価値観から解き放たれたことの反動もあり、戦後は物中心の価値観へと
大きく変わりました。民主主義とは誰にも気兼ねなく自分のために、家族のために物が自由に
買えることでした。「分相応」などの言葉は死語となりました。日高六郎は、戦後意識の変化は、
戦前の「滅私奉公」から「滅公奉私」になったことであると述べています。
 生産中心、物中心の価値観は、経済中心の国家観となり、「景気」が戦後政治のキーワードになりました。
戦後の大きな政治運動であった日米安保に反対する運動や国民の軍備増強への懸念、原子力発電所の
事故への危惧、環境保護の市民運動も「景気回復」の前には色あせるぐらいでした。いわゆる大量生産、
大量消費の時代です。それはまた大量のゴミ発生の時代の到来です。
・1955年頃から始まる家庭電化の時代が第一期の消費ブームです(利便性の追求)。
 電気洗濯機、電気釜、電気冷蔵庫、電気掃除機などで、神武天皇以来の景気のよさだと「神武景気」
と喧伝されました。
・1962年頃から第二期の消費ブームがはじまります(享楽の追求)。
 カラーテレビ、乗用車、石油ストーブ、ピアノ、ステンレスの流し台などで、天の岩屋戸の故事以来だと
「岩戸景気」と名付けられ、さらにその後「いざなぎ景気」と命名されるなど、政治は常に景気状況に
敏感に反応してきました。
 1970年代からは、環境汚染が深刻になったものの、74年に第一次石油危機がはじまったことから、
景気回復が優先されるようになります。1980年にはいると第二次石油危機が起こりました。その後、景気は
一時的に回復しても企業の収益は逆に弱まるだけでした。90年代に入り、バブル不況による経済成長の
鈍化からマイナス成長が現在まで続いています。まだ依然として経済成長と景気回復が至上命題の政治が
続いていますが、政治にも変化が現れています。それがよい方向に向かうのか、悪い方向に行くのかは
わかりませんが。
 このように戦後50年以上にわたり、経済成長のための生産効率最優先とすべての物を金に換算する
やり方が長年続き、そのうえ国土乱開発のつけが廻ってきて、自然破壊は目に見える形で人々の心の破壊
にまで進むようになってきたのです。
 藤田省三は、このことについて日本と欧米とを比べて次のように述べています。1)
 日本とヨーロッパ、アメリカは、工業社会であることや自然破壊、その自然破壊のツケを
第三世界に押しつけている点については共通していますが、日本とのちがいは、とくにヨーロッパには
自己批判の文化的伝統があることです。文化というのは自己批判ですが、それはギリシャ以来ある。
だからいまでも自然を破壊することがいかに人間自身を破壊するか、自然のコンタミネーション(汚染)
を行うものは、いかに人格それ自身の汚染を受けるか、ということもよく知っている。
 古在先生の言葉を借りると、「ヒューマン・ネイチャーのネイチャーの部分がなくなる」。ネイチャーの部分が
無くなった人形が、いま日本社会にはゴロゴロしているでしょう。全然自然な感じのない、自動的に動いている
人間みたいな、そういう感情喪失の人間がいっぱいいます。
 
 多くの人々に、隣に住む人が誰かも知らない、ただ「我が家に物があふれる生活」だけに疲れが見えてきた
ことです。そのような全体状況がいまはやりの「心の時代」のキーワードを生み出していると思います。
 「心の時代」が人々に強く意識されるようになったのは、商品経済(市場主義)が完全に成熟してきたことと
照応しています。商品経済は数千年前からはじまったのですが、資本主義経済は商品経済の完成した姿であると
マルクスが述べています。あらゆるものを商品にしていくこと、それが市場経済であり、効率を基本とした
自由競争の姿です。しかし、人間の生活、労働力は本来、商品になじまないと言うより、商品にしてはならないものです。
そのため人は、賃金になる労働力とお金と無縁の「働き」とを無意識に区別してきました。その最たるものは、
母親の子どもへの愛です。しかしそれも変質してきているのが現代なのです。つまり現代の特徴は、
それらのふたつの区別があいまいになり、すべての「働き」にまで効率と金額換算の商品経済が浸透しつつあることです。
私にはその進行が底を打ったとき(それがいつ来るのかはわかりませんが)、それまでの価値観は大きく
激変するように思います。
 商品にしてはならないものがあることを見ようとしない日本の企業人に対して、藤田省三は次のように
批判しています。2)

 いくら困っても売ってはならないものがあるように、商品にしていいものと、商品にしては悪いものがある。
日本は何でもかんでも商品にしてしまうんです。商品にしてはならないという感覚がない。つまり経済倫理がないのです。
 また藤田は、商品にしてはならないものとして次の3つを挙げています。1)
 誰もが知っているように、貨幣はそれ自体を売買するために造られたものではない。むしろほとんど逆に、
物の売買を成り立たせるための媒介手段として造られたものであった。それなのに市場経済が全面的に
支配してくると、その「市場の形成と維持の手段」そのものもまた商品化され、売買の目的物にされてしまう。
カール・ポランニーの言う「擬制商品」である。「市場経済」=一定の価格で売買する「活動」のなかで
便宜的な媒介手段として考案され制度化されてきた記号物(貨幣)それ自体までが売買の対象物すなわち
「商品」とされるばかりか、その「商品」の売買価格の変動は、「市場経済」活動全体の媒介記号の変動であるだけに
経済全体への実質的な強制的な影響力(権力)をもつ。
 「擬制商品」の第二は、売買目的となる「土地」である。これもポランニーのいうように元来販売目的のために
造られたのではなく、本来は言うまでもなく「自然」の中心的一部なのである。「市場経済」が支配してしまうと
自然もまた商品化される。商品化されることによって、良かれ悪しかれ、私たち人間社会と交渉をもつことになる。
しかし、「自然」は自動的な商品ではない。そこで、「自然」を自然のままでそれに依存して生計を立てる、
いわば、「自然経済」は「市場経済」の成立や発展のためには、いつも取り潰されるべき者となる。
 「擬制商品」の3つ目は、「労働力」である。

 また人自身が年齢とともに変化するのです。生きているということは、常に変化をするということです。
変化の最大は生きていることから死に向かうことです。それだけに長寿は人類の夢なのです。
現在日本で長生きできるようになったこと、90歳、100歳までも生き続けられる可能性が見えてきたことは、
人類の夢の実現ともいえます。にもかかわらず、そのような高齢化が日本では社会問題だと言うのです。
何が問題だといえば、高齢者にかかる年金や医療費を負担する(と勝手に想定している)子どもの数が
、少子化によって、高齢者の増加に見合って増えないので負担しきれないから「問題」だといっているだけです。
かって戦前でも、戦後の厳しい生活状況の中でも、政府は、官僚は、新聞は「日本は人口が多く国土が狭いので
貧しいのだ」から、しっかり勉強しろ、勤勉になれと言い続けてきました。それが、今は人口が減少するのが
問題だと騒ぎ立てるのです。3) この変わりようにはあきれるだけです。
 なお、変化には急激に変わるときとゆっくりと変わっていき、気が付くと大きく変化していることがわかるものとが
あります。日本の近代史では、明治維新(第一の開国)と太平洋戦争の敗戦(第二の開国)が急激に変わった時期で、
それ以外はなし崩しに変わってきた歴史です。その代表例は戦後の平和憲法の解釈の変遷でしょう。
それだけに変化に気付かない人が多くなるのです。
 野坂昭如は、淡路・阪神大震災を見て、「大変」だと思うのに、それに気が付かない人々、日本に対して
次のように批判しています。4)
 まぎれもない神の啓示として、淡路・阪神大震災を受けとめるぼくは、だからこそ「大変」だと思う。
震災によって露呈された今の日本を「大変」だと断じる。政治や経済の退廃、衰弱はどうってこともない。
民主、平和、福祉、平等、人権のお題目が形骸化するのも、時の流れというものだろう、
すべて人間のおちゃらけに過ぎない。しかし地震は違う、自然の営みである。自然のいわば息づかいに対し、
かくも傲慢、かつ無視、さらに忘れてしまう、いや忘れるならまだいい、なかったことにする、日本人のこの醜さは
何に由来するのだろう。たった一度の敗戦のせいか、性急な、身丈に合わぬ西欧物真似のあげくか、
戦後教育の歪みか、知識のみ重視し、知恵の申し送りをないがしろにしたせいか。五十年前の夏、終わったんだか、
敗けたんだか、とにかく生物的に永らえ得ると判って、うれしかった。「堕落論」がもてはやされ、
だが、いくら坂口安吾が、堕ちろといっても、少なくとも堕落の主体ではなかったぼくは、実感がなかった。
「もっと堕落しろ」「堕落しきったところに道が開かれる」へーえ、さよですかと、ただ飢えに追われていた。
今、「堕落論」の登場する余地はない。堕ちるところまで、日本は堕ち切っている。地震で気がついて当然のところ、
気づいていない。地震は玉音放送だったのだが、みなラジオがこわれていた。本当にこれから「大変」だ。

2.あらゆる人、物、時との絆を回復すること
 商品経済では、本来の人と人との関係は物と物との関係として現れます(マルクス)。
そのような逆転した関係は、商品経済が成熟するほど生活の隅々にまで広がり、そのことに気付かないと、
人は他者との関係が感じられなくなり、親子であっても人と人との絆が切れているように感じることで、
単なる物だけが目に映る生活になってしまいます。多くの人が「ばらばらに生きている」という思いを抱いています5)。
現在の日本はその見本であり、米国は30年以上前からそのような状況を生みだしていたように思います。
中でも青少年層がもっともそれに冒されています。多くの青年や生活に問題を抱えた人々ほど新興宗教にすがる
ようになるのは、そこからの逃避といえるのではないかと思います。一方現代社会の強者であるはずのエリート層は
ビジネス(businessはbusyの名詞形)に政治にと多忙を極めています。「忙しすぎるのは、心を滅ぼす」ということ、
「仕事中毒になってしまうと、目に見えるもの、計れるもの、比較できるもの、計算できるものが大事になってきます。
成果とか業績は、他の人との比較ではっきりとしたかたちで示さなければなりません」ということになり、地位や権力、
学歴、才能、富、血筋など目に見えるもの、比較できるものだけに価値を置く生き方になってしまいます5)。
まさにこの状況は、梅原猛の言う「人間の内面破壊の危機」6)なのです。
 梅原は、現代の3つの危機についてこう述べています6)。
 現代という時代は、今まで人類が経験したことのないような危機の時代であると思う。私は今、人類が直面している危機を、
一、核戦争の危機、二、環境破壊の危機、三、人間の内面破壊の危機の三つとしてとらえている。文学はその危機に
真正面から対抗しなければならない。

 今の60歳以上の年齢層には、よほどの金持ちでない限り、「人間は助け合い、いたわりあって生きていくものだ」
という実感を持っている人は少なくないはずです。それも東京や大阪のような大都会に住んでいる人よりも地方と
呼ばれる農村や小都市に住んでいる人に多いように思います。大阪から函館の近くの森町に移住してきた私の経験でも
強くそう思うのです。
 ところが、この日本は、史上かってない経済的豊かさに恵まれ、技術の発展によって、さまざまな便利な機器に
取り囲まれています。その豊かさにどっぷりとつかって育ってきた青少年がお金さえあればなんでもかなうように
錯覚するのは当然とも言えます。現代は、生きて通るだけだったら、かってのように生きることについて
真剣に考えずとも、生きられる時代になったのです。このため多くの人びとは、生きることに対するひたむきさを失い、
それを失ってしまったことさえ気付かぬくらいです7)。
 その上、無理をしたくない、自然に生きたい、等身大の生きざまをしたいんだというような、一見スマートな言葉を隠れみのにして、
努力するとか、がむしゃらに頑張ってみるとか、汗水たらして挑むという生き方に背を向けてしまっている8)若者が
増えていることにも危惧を感じるのです。
 21世紀を担う青少年に、「生きることの意味を問う」ということの大切さを伝えたいと思うのです。
それは私自身の息子たちへの遺言でもあります。
 かって当然のように人と人との絆を感じていた世代は、そのことをしっかりと思い出し、それを新たに再生させ、
若い世代に伝えることだと思うのです。どうすればよいかはまだわかりませんが、少なくとも高齢者の世代は、
そのことができる世代だと思うのです。
 高齢者社会の到来をやっかいだと見るのは、高齢者が皆寝たきりになり、惚けてしまうようなイメージで扱うからです。
まったく愚かなことです。生産年齢世代だけが価値ある人間だというのは、人間の尊厳を忘れた、人間そのものを
商品としてしか見ていないからです。もちろん老人にも愚かな人も少なくありませんが、老人は時代の変遷の中で
長く生きてきたという存在そのものに意味があるのです。そこから学ぶことによって社会はよりよいものになって
くると思います。介護が深刻になって始めて、老人介護の意味が明らかにされたし、障害者の存在、難病患者の存在が、
ノーマライゼーションというような優れた思想を生み出したのです。
<ノーマライゼーションの考え方(40年前にデンマークで生まれた思想)> 9)
 障害や病気がどんなに重くても、年をとっても死が迫っていても、人間は「ふつうの生活」を送る「権利」がある、
社会にはそれを支える「責任」があるという思想である。
 ふつうの生活を測る物差しとしての「八つの原理」(ベンクト・ニーリエ)
 第一は、一日のふつうのリズムだ。朝、起きて、その日の気分にあわせた服に着替え、外出し、というあたりまえな暮らしだ。
お仕着せの服を着せられたり、食事や就寝の時間を決められたりするのは、ふつうではない。
 第二は一週間の、第三は一年のそれぞれふつうのリズム、第四は一生のふつうの経験、第五は男女両性の
世界での生活だ。
 障害が重くても友達をもち、恋をし、子をもつ、といった経験が、施設の生活では損なわれがちになる。
 第六、第七はその社会での、あたりまえの収入と住環境の水準で暮らすこと。日本の施設や病院の多くは、
一般社会よりかなり低い水準で止まっている。
 そして、第八が、自己決定と尊厳の原理である。

 老人の介護を単に世話をするだけ、処理をするだけと見るのは間違っており、老人は八十になっても休息するのではなく、
生きている限りは悩み、苦しみながら、それでも最後まで生きていると言うことです10)。 現在の老人、高齢者の多くは
元気であり、経験と知恵をもっているのです。社会が老人が生きるのを助け、彼ら彼女のこのすぐれた能力を使うとき、
現代社会が抱えている教育、医療、環境、都市と農村、エネルギー資源、青少年などの問題の解決、そして私たち
自身の生活の質を高めることが可能になると思います。
 若者たちの多くは、孤独をおそれて群れをなし、それでも寂寥感に悩まされ、いっそうの孤立に陥っているように見えます。
1911年生まれの北林谷栄は、「老齢というものは寂しいもので、これを避けようというのは考えが甘い。寂寥感は
老人固有のものではなく、だれにも一生ある。ただ老人になったとき、はっきり痛感するということだと思います」。
と述べています11)。このことを知るだけでも、自分だけが寂寥感に悩まされていると感じている人には、
癒しになるのではないでしょうか。
 新たな人と人との絆を回復するには、かっての助け合い運動のようなものではなく、人と人との関係だけでなく、
人と自然との関係、人とあらゆるものとの関係、人と時間(過去、未来)の関係をも見直す必要があるように思います。
 岡部伊都子は、人間は生きるために闘っていかなければならないということについて次のように述べています12)。
 人間の闘いとは、何も武器を持って闘うのではなく、人の内にある毒の要素を排除していく闘いのこと。そのためには
どんなに尊敬し、力になってもらっている人でも、自分と思いが違う時にははっきりと言えて、しかも仲のよい人間関係を
作りたいのです。日本では、個人的な主張を持つことは反逆のように思う人たちが多くて、一体何のための民主主義か
わからなくなっていますね。だから、自分を大事にするということを、利己的になることだと思っている。でもそうじゃなく、
自分をいかに広くし、自ら律することができるかということなんです。そういう人たちの対等な社会が望ましいと思います。

 これまで述べてきた絆、あるいは相互扶助、連帯と言ってもよいかもしれませんが、これらの回復についてはまだまだ
考えなければならないことが多くあります。多くの人に一緒に考えてもらいたいと願っています。
 
3.「もったいない」ということ
 私は、今年の3月まで技術研究に携わってきたのですが、そのうちのひとつにゴミ問題、特に産業廃棄物の
リサイクルシステムをどうするのがよいのかということについて長い間研究してきました。技術的な解決策は
十分に可能なのですが、実際には、ものを売るだけに熱心で、リサイクルに不熱心な産業界(イメージをよくするために
ポーズだけはやっていますが)、管轄官庁の無責任さ、人々の無知と使い捨ての生活習慣に助けられて、少しも解決の
方向に向かわないのです。そのためこれだけ深刻な問題なのにどうにもならないという気持ちにさせられることが多かったです。
むしろ統計的には不景気が続くほど、ゴミは少なくなるので、廃棄物問題の解決には経済破綻が一番だとさえ
言いたくなるほどでした。
 このことは冗談として、地球規模の環境問題は当然深刻な課題であり、人知を絞って解決しなければなりませんが、
それと同じように大事なことは私たちの生活の場での有り様を改めることが環境問題解決の近道のように思うのです。
 たとえば全国にあるレストランで食べ残される残飯(白米)は、毎日膨大な量です。養豚の餌やコンポストへの
再生利用が検討されてきましたが、効率の点から、養豚では自動給餌のため残飯利用は難しく、コンポストも
収集運搬費のコスト高のためできないなど、実態はほとんどゴミとして処理されています。
 世界にはまだまだ飢えている人々が多数いるというのに、このような膨大な残飯がゴミとしてお金(税金)をかけて
処理されていることに、私は本当に罰当たりなことだと思うのです。私は5反百姓の息子に生まれ、小学校の低学年から
田圃の手伝いをして育ちました。貧乏百姓である我が家は、戦前は小作で、戦後は供出米に苦しんだものです。
一年中食うだけの米は家に残らなかったので、米は一粒といえど大事なものでした。お茶碗に一粒の米を残すことでも
もったいないことでした。だから今でも食べ物を残すことは罪悪だと感じるのです。ダイエットだからと言って食べ残すのが
当たり前の世の中は間違っていると思うのです。
 本当に生活に必要な物は何か、ということを検討するだけでも無駄な買い物を少なくできます。環境に負荷を与える
、環境を汚染する物を製造している企業に、そのような物を作らせないためには、買わないことが一番効果的なのです。
現代社会のように物が充足してくると、企業は、広告という手段によって、人々の欲望を無制限に拡大するよう刺激を
与え続けていき、あたかも必要な物のように錯覚させ、なんとか物だらけの生活にさらに物を押し込もうと躍起になるのです。
まだ使えるものが、新品同様であっても買い換えを強制され、修理すれば長く使える物が、修理されることなく廃棄されているのです。
 そのうえ、景気回復には「個人消費」という一見わかったようで本当は統計上実体のない、わけのわからないものが
ふるわないせいだと言って、政府自身が音頭をとって国民に無駄遣いを呼びかけているのです。このような愚かなことは
もうやめるべきでしょう。
こんな記事をどう思いますか。
 病院の廊下に「日本人は御馳走の摂り過ぎです」と書かれた張り紙があった。
 「ヒトの歴史は飢餓との闘いでしたので、体は食物が足りないことに対応する仕組みになっていて、摂り過ぎには対応できません。その結果が成人病増加の日本人となっているのです。病院食からみて、今までの食事がどうだったか判断してみてください」13)

 私は、環境問題解決の切り札のひとつは、この「もったいない」という考えを21世紀の思想にまで高めることだと考えています。清貧というのとはちがうのです。簡素で豊かな生活ということで、簡素と貧困は違うことです。高齢者の多くがまだこの知恵を持っていると思うのです。そのことを思い出して、一人ひとりが、簡素で精神的に豊かで質の高い生活を築いていけば、安上がりの高齢者になるわけで、結果として少子高齢者社会は、ゆったりとした本当の意味での人と人、人と自然との絆のある豊かな社会になるように思うのです。
 この課題ももっと深めたいと考えています。いろいろな知恵をお貸しください。

引用文献
1)藤田省三:全体主義の時代経験、みすず書房(1995)
2)藤田省三:現在日本の精神、世界(1990年2月号)、P.47
4)菊池哲郎:「少子高齢化社会」を寿ぐ、出版ダイジェストNo.1830(2001.7.1)
5)野坂昭如:1995年の大変、毎日新聞(1995.12.28)
6)鈴木秀子:愛と癒しのコミュニオン、文春文庫(1999)
6)梅原 猛:芸術と生命、岩波書店(1998),P.25
7)近藤完一:現代社会と管理、技術と人間(1991.10)、P.94
8)丸山健二:アルプス便り、文藝春秋(1985)
9)朝日新聞社説:ふつうの生活の大切さ、1998.12.28
10)新藤兼人:朝日新聞、1999.1.16
11)北林谷栄:朝日新聞、1999.1.16
12)岡部伊都子:毎日新聞、「会いたい聞きたい」、1990.2.2
13)毎日新聞:論説ノート、1994.4.10



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